うららか日和

美しい自然とつながり 心やわらかに感じたままを大切に

ことばから連想するもの

その後いろいろと考えさせられている中

自然農法の方から学んだ種のはなしが

気になったので見直してみようと思い

ノートを振り返ってみました。

 

すると自然は35億年も前から

共生をしてきているということでした。

 



その時「共生か〜」と

思い巡らせていると

自分も「強制」のことで

揺さぶられていたことを

思い出しました。

 

そして「きょうせい」という

言葉一つでも漢字に書き直すと

それぞれの漢字によって

意味が全然変わってくるなと

その時ふと思いました。

 

だいたい会話や文の前後から

どの漢字を当てはめるかは

勝手に自動的に頭の中に浮かんで

しまいますし

学校でも習ってきましたよね。

 

心揺さぶられた出来事にしても

「きょうせい」と聞いて

ひらがなではなく

すぐに「強制」という漢字が

思い浮かびました。

 

「強制」=怖いイメージが

してしまうし

漢字を見ただけで

想像してしまいませんか?

 

私はすぐにイメージしています。

 

これはもう無意識にだし

思い込まされてるんじゃないかと

思っちゃうくらいです。

 

しかも「強制」からは平和なイメージは

しにくいし。

 

そのことに気づいたので

これから「強制」と思い浮かんだときは

「共生」という字に

自分の頭の中で変換していこうと

思いました。

 

それの方が私の心の中は何だか

穏やかでいられます。

 

他にも日本語には読みは同じでも

感じが違ったりする言葉は

たくさんありますが

 

前後の意味がたとえ合わないとしても

私の頭の中では心地よい漢字(感じ)を

選び思い浮かべることで

心を平和にすることは自由なことだと

思ったわけです。

 

 

 

 

そして、そんな風に思ったことを

書いてみようと思えるようにも

なりました。

 

有難いことに妄想も現実も境目がないのだと

いう言葉が私の封印していたものを

溶かしてくれました。

 

そのことであれこれ

妄想してしまう自分を

許してあげていいんだと思えたり

気付かせてもらえたりして

とても感謝しています。

 

自分の思うことは変だし

おかしいのかもと思い

そうやって妄想することは

いけないことなんだと

今まで自分が

封印してきたんだと思います。

 

だから妄想しても一切外には出さず

そんな自分を責めて認められなくて

自分の考えを話すこともあまりしなくて

周りに合わせようとしてきたのかもしれないなと

納得しました。

 

だから喋ることが苦手だったり

抵抗があったりしたのかもって。

 

まずは自分の内側が喜ぶような

平和でいられるような言葉に変えて

さらに自分の妄想を

楽しんでみようと思います。